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Channel: 辛抱しんちゃんのブログ13~俺は本物を掴む迄兎に角やるんだ
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constructor's championship★コンストラクター★チーム所属のドライバーの合計獲得ポイント

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 フォーミュラ1は、モータースポーツカテゴリの1つであり、その世界選手権を指す場合もある。
 略称F1(エフ・ワン)。
 F1世界選手権 (FIA Formula One World Championship) は、国際自動車連盟 (FIA) が主催する自動車レースの最高峰であり、現在は4輪の1人乗りフォーミュラカーで行われている。
シルバーストーン・サーキット
 ヨーロッパアジア南アメリカ大陸北アメリカ大陸を中心に世界各国を転戦し、各レース毎の順位によって与えられる点数「チャンピオンシップ・ポイント」の総計によってチャンピオンを決定する。
 Formulaとは「決まり」「車両規定」を意味し、「Formula One」と言う表現には、幾つかある車両規定枠組(カテゴリ)の中でも一番上位、との、企画者側の思いや意味が込められている。




 F1ドライバーズチャンピオンとは、1950年に始まった、FIAF1世界選手権において、ドライバーズ・チャンピオンシップを獲得した者である。
 F1世界選手権の初代チャンピオンは、「ニーノ」の愛称もあるエミリオ・ジュゼッペ・ファリーナNinoFarina.jpghttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%82%BC%E3%83%83%E3%83%9A%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%8A
 所属チームはアルファロメオ。
 それから2017年のドライバーズチャンピオンであるメルセデス所属のルイス・カール・デビッドソン・ハミルトン迄、75回・・・


 その間、ドライバーズチャンピオンを5回連続合計7回獲得した最高のドライバー・フェラーリ所属ミヒャエル・シューマッハや、シューマッハには及ばないものの、連続4回合計5回ドライバーズチャンピオンとなったマセラティ等に所属したファン・マヌエル・ファンジオ・デラモhttps://minkara.carview.co.jp/userid/1804628/blog/37197440/、フェラーリ所属ドライバー、ジョゼフ・ジル・アンリ・ヴィルヌーヴの息子、ウィリアムズ・ルノー所属ジャック・ジョゼフ・シャルル・ヴィルヌーヴ、ティレル等に所属したイアン・シェクターの弟、「リトル・ベアー」ジョディー・デイヴィッド・シェクター、ブラバム・レプコ所属デニス・クライブ・“デニー”・ハルム、ファン・マヌエル・ファンジオと同じく連続4回ドライバーズチャンピオンになり、尚且つF1最年少でチャンピオンになったレッドブル・ルノー所属セバスチャン・ベッテル等がいる。

 然し今回はドライバーではなく、コンストラクターについて綴りたい。

 コンストラクター とは、オリジナルマシンを製造してグランプリに参加しているチームの事を指す。
 厳密に言えば「コンストラクター≒チーム」であるが、分かり辛くなるので「チーム」と考えてしまおう。
 グランプリ参加チームは、各ドライバーがその獲得ポイントで競うドライバーズタイトルと共に、チーム所属のドライバーの合計獲得ポイントによるコンストラクターズタイトルを争う。

 F1コンストラクターズチャンピオンは、1950年に始まった、FIAF1世界選手権において、1958年に制定されたコンストラクターズ・チャンピオンシップを獲得したもの。

 一番最初のコンストラクターズチャンピオンはヴァンウォール。

 ヴァンウォールは、嘗てF1に参戦していたコンストラクター。
Vanwall
 1958年に制定されたコンストラクターズ・チャンピオンシップの初代獲得者である。
 ヴァンウォールと言う名称は、母体であるヴァンダーヴェル社とその商標「シンウォール」を組み合わせて命名された。
 ヴァンダーヴェル社の創業者トニー・ヴァンダーヴェルは、アメリカ人技術者が開発したベアリングを「シンウォール(薄い壁)」と名付け、イギリス国内で特許を取得した。
 この技術は内燃機関の高回転化に貢献し、第二次世界大戦中の戦闘機のエンジン等に使われ、ヴァンダーベル社の事業を成功させた。
 1957年には、スターリング・モス(第2戦から加入)、トニー・ブルックススチュアート・ルイス=エヴァンズ等母国のスタードライバーを揃え、フェラーリやマセラティといったイタリア勢を脅かす存在となる。
 サー・スターリング・クロフォード・モスは、1950年代に活躍したイギリスの元レーシングドライバーである。
 歴代の中でもトップドライバーに数えられる実力を持ちながら、結局一度もチャンピオンになる事は無かった。
 「世界チャンピオンにならなかった最も偉大なドライバー」と評され、日本語では「無冠の帝王」と称される。
 1964年、建設中の富士スピードウェイのアドバイザーとして来日した。
 富士はNASCAR風のオーバルコースとして計画されていたが、現地視察の際に建設地が山麓の傾斜地である事を素早く見抜き、「こんな地形でオーバルサーキットなんてナンセンスも甚だしい。今直ぐヨーロッパ式のロードコースに改めた方がいい」と一喝した。
 その後、コースレイアウトは高速バンクとロードコースの折衷型に修正された。
 チーム発足・参戦から僅か4年で栄光を掴み、その頂点で実質的に幕を閉じたヴァンウォールの歴史はF1史上でも稀有なものであった。
 それは又、クーパー、BRM、ロータスといった英国勢の黄金時代に繋がる先駆けでもあった。

 その後、クーパ-フェラーリBRM(ブリティッシュ・レーシング・モータースと、コンストラクターズチャンピオンを獲得して行った。
 2017年コンストラクターズチャンピオンのメルセデスで59回。

 一番タイトルを獲得したコンストラクターはフェラーリの16回!
 特に1999年から2008年迄はある意味フェラーリのF1である。
 
 変わった所では、1969年のコンストラクターズチャンピオン・マトラ。

 マトラ・オトモビルは嘗て存在したフランス自動車メーカー
 マトラミサイル製造から事業を拡大した航空宇宙関連の工業コングロマリットであったが、グループの一社がスポーツカーメーカーのオトモビル・ルネ・ボネにボディ用のFRPを卸していたのをきっかけに自動車産業にも関わる様になった。
 本家の主な成績は2位1回だったが、セミワークスチームはジャッキー・スチュワートが第5戦フランスGPで、フランス系コンストラクターとしてのF1初優勝を達成。 
 サー・ジョン・ヤング・"ジャッキー"・スチュワートスコットランドウェスト・ダンバートンシャイア出身のイギリスの自動車レーサーである。
 F1ワールドチャンピオンを3回獲得した。
 翌1969年は勝てそうで勝てないヨッヘン・リントとは対照的に開幕から8戦6勝という驚異的な成績を残し、3戦を残して悠々と初のワールドチャンピオンを決めた。
 翌1969年はワークスがスポーツカー活動に注力した為、マトラ・インターナショナルのみが参戦。
 スチュワートがシーズン11戦中6勝を挙げる圧勝で、ドライバーズとコンストラクターズの2冠を獲得した。
 又、甲高いV12サウンドは、「マトラ・ソプラノ」と呼ばれた。
 1967年モナコGPから参戦し、1972年アメリカGPで撤退する迄6年間の活動だった。

 他にはルノーのエンジンを搭載し、グッドイヤーのタイヤを履いた1995年のコンストラクターズチャンピオン・ベネトンとかも珍しい。

 ベネトン・フォーミュラは、1986年から2001年にかけてF1に参戦していたコンストラクター
シューマッハ(1994年)
 1995年にコンストラクターズチャンピオン獲得。
 長きに渡って4強の一角を占め、1980年代後半から1990年代のF1を代表するチームとなった。
 1986年、それ迄もティレルアルファロメオのスポンサーを務める等F1に関係の深かったベネトン社が、トールマン・チームを買収。
 「ベネトン・フォーミュラ」として1986年開幕戦より参戦。
 初年度からテオ・ファビによりポールポジションを2回獲得し、ゲルハルト・ベルガーはタイヤ無交換作戦を決めメキシコGPで初優勝を飾った。
 ベネトンは、イタリアの企業グループである。
 実際の発音は「ベネットン」に近い。
 1965年に、トレヴィーゾルチアーノ・ベネトンにより創業された。
 2015年時点で世界60か国で展開する「ユナイテッド・カラーズ・オブ・ベネトン」を筆頭に、「SISLEY」や「プレイライフ」「Killer Loop」等の服飾ブランドを展開する。
 当初の予定では1995年も引き続きフォードエンジンを使う筈であったが、1994年のシーズン途中にフォードがF1からの撤退をチームに通告(その後フォードはF1からの撤退と言う決定を覆し、エンジンの供給先をザウバーに変更した)した事でチームもそれに伴いエンジン探しを行い、チームマネジャーのブリアトーレがリジェチームのオーナーとなった事でこの年のエンジンをルノーに変える事に成功した。
 このリジェチームの買収は、ルノーエンジン獲得の為に行ったものとも報道された。
 ルノー仕様のB195は安定性に欠き、特にリアの挙動が過敏であった。
 然し懸命のマシン改良やウィリアムズ陣営の自滅にも助けられ、シューマッハは2年連続ワールドチャンピオンを獲得、前年終盤に加入したハーバートが残留し、「シューマッハスペシャル」のマシンを最後迄乗りこなす事は出来無かったが初優勝を含む2勝をあげ、近年のシューマッハのチームメイト達と比べると最高の成績を残した事でチームとしても初のコンストラクターズチャンピオンに輝く。
 ダブルタイトルを置き土産にシューマッハはフェラーリに移籍。

 コンストラクターズチャンピオンは、フェラーリの他、ウィリアムズマクラーレンロータスと、イギリス国籍のコンストラクターが多く獲得している。
 クーパーもベネトンもブラバムティレルもイギリスのコンストラクターだ。
 その中にはブラウンもいる。

 ブラウンGPは、ウィリアムズアロウズベネトンスクーデリア・フェラーリホンダ等で活躍したロス・ブラウン2009年に設立したイギリスのレーシングチームである。
 ロス・ブラウンは、イギリスの自動車技術者、レースエンジニア。マンチェスター出身。
 2017年現在は、F1を運営するフォーミュラワン・グループのモータースポーツ担当マネージングディレクターであり、事実上F1における現場責任者を務める。
 F1テクニカルディレクターとして所属したベネトンで1回、フェラーリで6回のコンストラクターズタイトルをもたらした。
 更に2009年には自らがオーナーのチームとして新たにブラウンGPを興し、参戦初年度の新チームながらドライバーズチャンピオン(ジェンソン・バトン)及びコンストラクターズチャンピオンの二冠を達成する快挙を成し遂げている。
 2009年末にブラウンGPはメルセデス・ベンツに買収され、2010年シーズンからは「メルセデスAMG F1」となったが、その手腕を買われ、2013年末迄チーム代表を務めた。
 2009年11月、メルセデスに買収されメルセデスGPとなった。
 3月27日から第1戦オーストラリアGPを迎えた。
 予選ではQ1、Q2ではバリチェロが1位、バトンが2位、Q3ではバトンが1位、バリチェロが2位と全セッションのトップタイムと2位タイムを記録し、フロントローを独占した。
 フロントローは、自動車オートバイレースで、スタート時における車の位置(グリッド)が最前列である事を指す用語である。
 スタンディングスタートの場合はスタート直前、ローリングスタートの場合はフォーメーションラップ直前の並びから判断される。
 F1等殆どのカテゴリーでは横に二台ずつ並んでスタートを切るので、フロントローに並べるのは二台迄と言う事になる。
 インディ500は3台迄並べる。
 一般的にスタート順位は予選の成績によって決められる為、上位グリッドには、本戦を有利に戦えると言う価値と、予選の速さを証明出来ると言う二つの価値がある
 現在迄一番フロントローだったのは、ルイス・カール・デビッドソン・ハミルトンの117回。
 デビューレースでのポールポジション獲得は1970年カナダグランプリのティレル以来、フロントロー独占は1970年南アフリカグランプリのマーチ以来共に39年ぶりの快挙だった。
 決勝はポールポジションからスタートしたバトンが、1度もトップを譲らずにポールトゥウィンで優勝。
 ポールトゥーウィンとは、モータースポーツにおいて、ポールポジション(以下PP)からスタートして、レースでも優勝する事を指す。
 F1モナコGPハンガリーGP等、抜き所の無いサーキットで行われるレースでは、こういった結果に終わる事が多い。
 そのレース中スタートからゴール迄常にトップを走っていた訳では無くても、PPからスタートして決勝で最終的に優勝した場合はポールトゥーウィンと見做される。
 例えば1988年のF1フランスGPでは、PPからスタートしたアラン・プロストがタイヤ交換でアイルトン・セナに先行されるも抜いて優勝、同1988年の日本GPでは、今度はセナがスタート失敗による14番手転落からの追い上げで優勝しているが、どち等もポールトゥーウィンである。
 達成回数が一番多いのは、41回のルイス・カール・デビッドソン・ハミルトン
 2位にバリチェロが入りワンツーフィニッシュ。
 デビュー戦での優勝は、1977年ウルフ以来の32年ぶり、初出場のチームが初戦でワンツーフィニッシュは1954年フランスGPメルセデス以来55年ぶりとなる快挙だった。
 第2戦マレーシアGPでもバトンがポールポジションからスタートし、ファステストラップと優勝を記録、ハットトリックを達成した。
 初参戦チームの開幕2連勝は選手権初年度となる1950年アルファロメオ以来の記録となった。
 シーズン中盤にはレッドブルセバスチャン・ベッテルマーク・ウェバーの激しい追い上げを受け、バトン、バリチェロ、ベッテル、ウェバーの4人がタイトル争いをしていたが、第16戦ブラジルGPで、バトンが自身初、そしてチーム初となるダブルタイトルを獲得した。
 参戦初年度のチームがコンストラクターズタイトルを獲得する事は、F1史上初めての快挙である。
 11月16日メルセデスが45.1%、アブダビ企業のアバール・インベストメンツが30%の株式を買取り2010年からメルセデスのワークスチーム「メルセデスGP」として参戦する事を発表した。
 これにより、「ブラウンGP」としてのチームは、僅か1年で消滅する事となった。

2017年の
コンストラクターズチャンピオンは
ピレリのタイヤを履いたメルセデス。
ドライバーズチャンピオンは
メルセデス所属の
ルイス・カール・デビッドソン・ハミルトン
メルセデスの
コンストラクターズチャンピオンは
4年連続だ。
これは2010年から2013年の
ルノーのエンジンのレッドブルと並ぶ。
【F1】2017年を慎重に捉えるレッドブル「ルノーPUの開発に依存している」

 2017年からチーム名称を「メルセデスAMG・ペトロナス・モータースポーツ」に変更。 
 そもそもAMGとは、1967年レース用自動車エンジンの設計会社として創業。
 創立者のハンス・ヴェルナー・アウフレヒト(Hans Werner Aufrecht)、エンジニアのエアハルト・メルヒャー(Erhard Melcher)、アウフレヒトの故郷であるグロース・アスパッハ(Großaspach) の頭文字を取ってAMGとした。

 2009年以降、コンストラクターの活躍は、ルノーメルセデスが耳目を引く・・・

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