・・・アメリカンフットボールにおけるコンタクトとは、身体の接触を行う事である。
アメリカンフットボールのコンタクトは非常に激しく、直ちに負傷に繋がる恐れがある。
この為、安全確保を目的として、コンタクトには厳しい規制がある。
コンタクトはタックルとブロックに大別される。
屡々(しばしば)混同されるが、アメリカンフットボールにおけるタックルとは、ボールを保持する選手(ボール・キャリア)の前進を止める為に体やジャージを掴む事であり
ブロックとは、相手選手の体やジャージを掴む事無く、自らの体を使って相手の進路を妨害する(前に立ち塞がる)事である。
状況により、手を開いて相手を押す事はブロックとして認められる。
原則として、ボールを持っていない選手に対するタックルは認められない。
原則として、ボールを持っていない選手に対するタックルは認められない!
原則として、ボールを持っていない選手に対するタックルは認められない!!
ボールを持っていない選手の体やジャージを掴むと反則(ホールディング)となる(例外的に、守備の選手が、タックルの為に他の選手を払いのける目的で掴む事は許されている)。
尚、蹴る・殴る等のラフプレイ、暴力行為は当然禁止されている。
アメリカンフットボールの装具とは、防具とユニフォームに大別される。
この内防具は、選手の負傷軽減を目的として装着する物であり、様々な改良を積み重ねながら現在に至っている。
「間違いやすいジャッジがひと目でわかる!アメリカンフットボールのルールとスコアのつけ方」(笹田英次 監修)に寄れば、全ての防具の重さを合計すると、スパイクを含んで5kg程にもなる。
西瓜(すいか)のMサイズぐらいの重さ!
装着が義務付けられた装具に不備があると反則となるので、全ての選手は正しく装具を装着しなければならない。
装着が義務付けられた装具は以下の通り・・・
- ヘルメット
- 頭部を保護する。
- 表面はプラスチックで、中にウレタン製(ウレタンはシャボン玉の泡「セル」が一杯繋がった様な形をしています。つまり殆どが空気で出来ている様な物であり、同じ容積の他の材料と比較して軽量です。衝撃吸収性があります)のパッドと、ゴムチューブが内蔵されており、ゴムチューブ内の空気圧の調整により、フィット感を向上させる。
又、顔面を保護するフェイスマスク(又はフェイスガード。格子の形はポジションにより数種類ある)と、顎に当ててヘルメットを固定するチンストラップ(頚部へのベルトでは無く顎そのもので固定する「チンカップ」がある)が必須である。 - ヘルメットは1平方cm当たり1トンもの衝撃に耐えるとされている。
- 5㎏の米袋200袋分の衝撃だ!
- ショルダーパッド(プロテクター)
- 胸、背中及び肩を保護する。
- 各部位を保護するパッドを、プラスチックのカバーで覆って繋ぎ合せた物で、ポジション毎に形状が異なる(例えばクォーターバックやワイドレシーバー等、パスに関与するポジションでは、肩の稼動域が広く、軽くて薄いが、ラインポジションではその逆等)。
- ニーパッド・サイパッド・ヒップパッド
- それぞれ、膝、太腿前面、尻を保護するパッド。
- ユニフォームのパンツの下に装着。
- マウスピース
- 頭部への衝撃を緩和する為に装着。
- スナップ(センターが後方に位置するクォーターバックやパンター<パントキックをする選手>等にボールを出す事。スナップする事によってプレーが開始される)する直前に口に入れて噛み締める。
- プレーしていない時は会話に差し障りがあるのでフェイスマスクにストラップで吊ってある。
- 過去、マウスピースを使用せずに頭部でコンタクトを行った結果、頸椎損傷等の重大事故が発生し、死亡したケースもある為、着用を義務付ける規定が年々厳しくなっている。
- ユニフォーム
- 上半身を覆うジャージと、下半身を覆うパンツに分かれる。
- ジャージは、各チームとも、チームカラーを基調とするカラージャージと、白を基調とするホワイトジャージの2種類用意し、ホームチームがカラージャージ、ビジターチームがホワイトジャージの着用を原則とする。
- 両チーム、審判の事前の了解があれば、カラー/ホワイトを入れ替えて着用する事もある。
- 又、対照的な色であれば、カラージャージ同士の着用も有り得る。
- ジャージもパンツも、防具の上から着込み、体にぴったりとフィットするよう、現在では非常に伸縮性に富んだ素材を使用する。
主にクォーターバック等はこの他に、フォーメーションを一覧にした図を腕にリストバンドで着ける事がある。
AFC北地区
元々はクリーブランド・ブラウンズと言う名称であったが、オーナーのアート・モデルによるチームの移転に反発したクリーブランド市民に配慮して、ブラウンズの名は市に残した。
そして1996年にボルチモアにチームが移転する際に「レイブンズ」と改名し、過去のフランチャイズヒストリーを引き継がず、形式上は新チームと言う事で発足した。
名前はそれぞれエドガー、アラン、ポー。
クリーブランドには、その後エクスパンションでクリーブランド・ブラウンズが復活した。
ブラウンズのフランチャイズヒストリーは、この新生ブラウンズに引き継がれている。
現在のチームは1999年に再度設立されたもの。
これは1996年に旧ブラウンズのボルチモア移転が当時のオーナーのアート・モデルによって決定された際にファンの反対によって愛称や歴史等チームのロイヤリティはクリーブランド市に残され、その後新チームが「ブラウンズ」を引き継ぐ形で設立された為。
このエクスパンションによってNFLは全31チームとなり、それが現在の32チーム体制に繋がった。
NFL32チームの中で
唯一チームロゴを持たない為
ヘルメットは
中央部に茶色と
白のストライブが入った
オレンジ色の無地となっている。
NFLの公式サイト等でも
他のチームが
ロゴマークで表されている所では
ブラウンズは
ヘルメットの絵となっている。
AAFCは4年間存続した後NFLに統合されたが、ブラウンズは4シーズン全てでチャンピオンシップを獲得し、4シーズンを通して4敗しかしなかった。
ポール・ブラウンは1967年9月26日に、AFLのエクスパンションチーム、シンシナティ・ベンガルズの主要株主、ゼネラルマネージャー、及びヘッドコーチとして復帰、ベンガルズは1970年のNFLとAFLの合併によりNFLに加盟した。
彼はベンガルズのヘッドコーチを8年間務め、チーム設立後3年目を始めとし3度プレーオフに進出した。
それ等シーズンにおいて、ブラウンのベンガルズは彼の古巣のブラウンズと対戦し、ブラウンとモデルの間に激しい対立に再び火がついた。
・・・ブラウンズにいたポール・ブラウンがクリーブランドを追い出されて、NFLチームを指揮する夢を諦めきれず、色々うろうろしてシンシナティに新しいチームを作る事に合流出来た。
1947年。ブラウンはシンシナティの動物園にいた白いベンガル虎
に因んで、ベンガルズと名付けた。

ポール・ブラウンは近代アメリカンフットボールの父と呼ばれ、彼の下で働いたビル・ウォルシュはスーパーボウルを3度制覇している。
そして、ブラウンズのオーナーだったアート・モデルと犬猿の中で、幾度も衝突している。
因みに、このポール・ブラウンの息子が現オーナーのマイク・ブラウン。
数多くの遺産の中でも、ブラウンズとの確執を一番引き継いでいるのかも知れない。
そもそも最初はブラウンズしか無かった。
1950年、クリーブランド・ブラウンズが設立される。
HCは先程も紹介したポール・ブラウン。
ブラウンズってのは「ブラウンさんの選手達」って意味になるんですね。
然し、隆盛いつか衰える。
その頃ブラウンズのオーナーが変わった。
アート・モデルさんに。
そしてその一年後。
ポール・ブラウンは解雇される。
夢を諦められないポールはシンシナティに、新しいチームを作る訳ですね。
それがベンガルズです。
オーナーはポールから息子のマイクに変わって、ホームスタジアムは「ポール・ブラウン・スタジアム」と名前をつけるんですね。
名将ポール・ブラウンを称えんと、息子は頑張った。
そして、宿敵ブラウンズとの軋轢を決して忘れなかった。
まぁ、首になった時のオヤジの落胆した姿が息子の目には強烈に残ったんでしょう。
試合をする以外、この2チームは全く交流しません。
そして、1990年代。
ブラウンズのオーナーは、何とクリーブランドを捨てるんですね。
理由はスタジアムを新しくしてくれないから。
何とまぁ。
で、引っ越した先は、メリーランド州ボルチモア。
ここでボルチモア・ブラウンズが誕生する筈だった。
然し、クリーブランド市民がそれを許さなかった。
ブラウンの名前はクリーブランドに所有権があるとケンカを売りに行った。
そして新しい名前、レイブンズを使用する事にした。
アート・モデルがチームを連れて行ってしまったので、クリーブランドには何も無くなってしまった。
然しクリーブランド市民はアメフトが忘れられない。
その熱気がどうなったんか分からんが、1999年新しいブラウンズが誕生します。
愛称の由来はピッツバーグは嘗て鉄鋼業が盛んだった事から“鉄の男達”から。
スーパーボウル制覇6回は、全NFLチーム中最多であり、2度の連覇を達成した唯一のチームである。
QB テリー・ブラッドショー、RB フランコ・ハリス、WR リン・スワンの攻撃陣(1975年の公式戦では、ハリスとロッキー・ブライヤーの2人が1000ヤード・ランを記録)に加え、DT ミーン・ジョー・グリーン、MLB ジャック・ランバート、OLB ジャック・ハム、DB メル・ブラント等による強力なディフェンス陣は「スティール・カーテン」と呼ばれ相手チームに恐れられた。
テリー・ブラッドショーはルイジアナ州シュリーブポート出身のアメリカンフットボール選手。1970年から1983年迄14シーズンNFLのピッツバーグ・スティーラーズでプレーした。ポジションはクォーターバック。現役時代スーパーボウルで4回優勝しており、第13回スーパーボウル、第14回スーパーボウルではMVPに選ばれた。スーパーボウルで4勝しているQBは彼とジョー・モンタナ、トム・ブレイディの3人だけである。1989年にプロフットボール殿堂入りを果たした。現役時代は"The Blond Bomber"と呼ばれた。現役引退後NFL解説者として活躍している。1981年にはシボレー・マリブに乗って『キャノンボール』に出演した。
1972年12月23日のAFCプレーオフ、対レイダーズ戦。
スティーラーズは残り22秒時点で6対7でリードを許している状況。
自陣40ヤードからの攻撃、残り10ヤード、既に4thダウンと言う瀬戸際に追い込まれていた。
ボールを受けたQBのテリー・ブラッドショーは、自陣29ヤード地点から、敵陣35ヤード地点にいたHBのジョン・フッカにパス。
然しフッカはレイダーズのセーフティであるジャック・テイタムと接触してパスを取りそこね、ボールはテイタムの体に触れてスティーラーズ陣側に跳ね返った。
そのボールを、フランコ・ハリスが地面まで後僅かの地点でキャッチ、相手陣に向けて疾走する。
パス不成功が成立したと思って一瞬動きを止めていたレイダーズ選手は追いつく事が出来ず、ハリスはそのままタッチダウンを奪った。
試合はその後、スティーラーズがTFPも決め終了。
13対7により、スティーラーズがAFC優勝戦へ駒を進めた。
このプレイは後に、無原罪の御宿り(Immaculate Conception=清浄なる受胎:聖母マリアが、神の恵みの特別な計らいによって、原罪の汚れと咎を存在の初めから一切受けていなかったとする、カトリック教会における教義である。無原罪懐胎<むげんざいかいたい>とも言う)に引っ掛け、「イマーキュレート・レセプション」(Immaculate Reception=清浄なるパスキャッチ)と呼ばれる様になった。
絶体絶命の場面からの大逆転を実現したこのプレイは、チーム史上のみならず、NFLの歴史においても屈指の奇跡的プレイとして現在でも語り継がれている。
応援は熱狂的で、テリブルタオルと言う黄色のタオルを振り回す事で有名。
このテリブルタオルは、地元ラジオ局のスティーラーズ専門アナウンサー、Myron Cope(2005年に引退)の発案で作られた。
1975年のプレイオフにおける対ボルティモア・コルツ(現インディアナポリス・コルツ)戦で初めて行われ、以降スティーラーズの象徴的な応援となっている。
・・・こうして見ると、各々ドラマがありますね。
まあ、巨人だけで無く、中日だって阪神だって横浜だってソフトバンクだって皆ドラマがあり名選手がいて歴史があるのだから、アメフトだって当然か。