・・・アメリカに初めて英国のフットボールが紹介されたのは、1867年であるとされている。
始めたのはプリンストン大学(ニュージャージー州プリンストンに本部を置くアメリカ合衆国の私立大学。「東海岸のエリート私立伝統校群」なアイビー・リーグの大学8校の内の1校である事や、2名の大統領<4代:ジェームズ・マディソン・ジュニアと35代ジョン・フィッツジェラルド・"ジャック"・ケネディ>を輩出している事等で有名)で、サッカールールのゲームであったが、プレーヤーの数は各チーム25人の計50人だった。
続いてラトガーズ大学(東海岸ニュージャージー州の州立総合研究大学。キャリスタ・フロックハートはそこの卒業生)でも、やはりサッカータイプのフットボールを始めたのだが、プリンストン大学とはルールが異なっていた。
アメリカにおける最初のフットボールの大学対抗試合(インターカレッジ・フットボール)は、やはりサッカータイプのゲームで、プリンストン大学とラトガーズ大学の間で、1869年にニュージャージー州のニューブランズウィックで行われた。
1チーム25人ずつのプレーヤーによるゲームで、キックかヘディングによりゴール数を競い、先に6点取った方が勝ちと言うゲームだった事が記録に残されている。
然し、この時点では未だボールは丸いサッカーボールで、ボールを持って走ったり、投げたりする事は認められていなかった。
そして、コロンビア大学、プリンストン大学、ラトガーズ大学、及びエール大学(米国コネチカット州ニューヘイブン市に本部を置く私立大学。5人の大統領<42代ウィリアム・ジェファーソン・"ビル"・クリントン、41代ジョージ・ハーバート・ウォーカー・ブッシュ、43代ジョージ・ウォーカー・ブッシュ、27代ウィリアム・ハワード・タフト、38代ジェラルド・ルドルフ・"ジェリー"・フォード・ジュニア>を排出)から成るインターカレッジエイト・(サッカー)フットボール・アソシエーションが、ルールを標準化する為に1873年に作られた。
一方、ハーバード大学はこのグループに参加する事を拒否。
他の相手を求めてカナダのモントリオールのマギル大学(『スタートレック』のジェームズ・タイベリアス・カーク艦長役:ウィリアム・“ビル”・シャトナーが卒業生)からの挑戦を受け、1874年5月14日、ラグビールールの試合を行った。
そしてその後も2校は、ラグビールールの下で、1874年から1875年にかけてシリーズ戦を行った。
ラグビータイプのゲームは間も無く他の学校にも流行り始め、その後十年以内にアメリカンフットボール特有のゲーム形式が発展して行った。
そして19世紀後半以降、アメリカンフットボールは、大学のスポーツとして人気を博す事になる。
略称はアメフト又はアメフット。
米式蹴球あるいは鎧球(がいきゅう)とも。
北米以外の地域では、サッカー等他のフットボールと混同を避ける為に、略さずアメリカンフットボールと呼ぶ事が多い。
オーストラリアでは、グリディロン・フットボールとも呼ばれている。
「Gridiron」・・・?
元の意味は「焼き網=Grill」で、もう一つ「アメフトの競技場」と言う意味があります。
5ヤード毎に引いた白線が焼き網に似ている事が由来だと。
1ヤードは0.9144メートルなので5ヤードは4.572m
日本では、一般的にアメフトと略される事が多いがアメフットも使われており、同じ報道機関でも統一されていない。
過去にはアメラグ(アメリカンラグビーの略)や アメリカンとも呼ばれており、希に使われる。
日本語表記では、アメリカンフットボールを直訳した米式蹴球、又は、 鎧(よろい)を髣髴させる装備をしている事から鎧球(がいきゅう)と表記される。
尚、混同され易いが「ア式蹴球」はアソシエーション・フットボール(サッカー)を指す。
アメリカンフットボールは、ボールを蹴り込んで得点するフットボールに分類され、特に楕円形のボールを使う、タックルにより相手の前進を止める等、古いラグビーを源流としている為共通する要素を持つが、互いにルールが何度も変更されている為現代では、基本的な競技特性が異なる競技となっている。
特徴や他のスポーツとの比較は以下に示す。
- 2チームがそれぞれ、ボールを確保する攻撃側(オフェンス)と、守備側(ディフェンス)に明確に分かれゲームが進行する。特殊な場合を除き、得点する機会は攻撃側だけにある。
- 自由交替制を採用しており、一度交替した選手でも再びプレーに参加する事が出来る為、オフェンスとディフェンスで選手を大幅に入れ替える事が出来る。
- ラグビーと同じく基本的に体格の大きな選手が有利であるが、上記の理由でよりポジションに応じたパワー、スピード、スタミナ、捕球力等の役割、適性が明確であり、選手はほぼ自分の役割に特化した専門選手である。
- 基本的に全てのプレーがセットプレーであり、両チームが向かい合った静止状態から一つのプレーが始まり、タックル等によりボールの前進が止まった時にプレーが終了する。1プレイは大体10秒以内で終了し、又、仕切り直して次のプレーを開始する。この様な短いプレーの積み重ねによりゲームが進行する。
- 試合全体で時間が決まっており(正規で60分)、カウントダウンする計時方式を採用し、同じフットボールであるサッカーやラグビーの様なロスタイムが無い。時間を流す・止めるルールが細かく決まっており、時計と勝負するスポーツとも言われる。プレーせずに時間を流す事もあり、勝ち越しているチーム(を応援する観客)がカウントダウン・コールをする場面がある。
- 激しいコンタクトが多い。当初はラグビーと同様にジャージ(ラグビージャージ、又はラガーシャツとはラグビーやラグビーリーグの選手が着用するユニフォームの事。単にジャージとも呼ばれる。普段着としても着用され、長袖と半袖共に存在する)でプレーしていたが安全に配慮してヘルメットやプロテクター等の防具を装備する事が義務づけられている。それでも脳震盪やCTE(慢性外傷性脳症)を発症する選手が続出している事から、危険性の認識、又、適切な処置を求め、NFLと元選手約4000人が係争中である。※慢性外傷性脳症(まんせい・がいしょうせい・のうしょう、chronic traumatic encephalopathy; CTE)とは、脳震盪等の脳への反復する傷害が原因となり、進行性の脳変性による脳症をきたす事。死後の脳の病理学的検査でしか診断する事が出来無い。この疾患はボクシングにおけるパンチドランカー (dementia pugilistica; DP) としても知られていた。慢性外傷性脳症は現在、アメリカンフットボール、アイスホッケー、サッカー、レスリング、野球等の接触の多いスポーツの多くでみられている他、脳震盪を繰り返した兵士にもみられている。この疾患の患者は、外傷を受けてから数年から数十年経って、記銘力低下、易攻撃性、錯乱、抑うつ状態等の認知症症状を呈する。アルツハイマー病やパーキンソン病等との鑑別が困難な事が多い。※
- ビデオ判定が導入されており、NFL等では判定に不服がある場合、コーチ(監督)が審判団にビデオ判定を求める事が出来るチャレンジや一部の選手との無線通信が許可されている等、技術革新に対して柔軟である。但し、日本ではチャレンジシステムや無線は採用されていない。
アメリカでは不動の一番人気スポーツである。
歴史的に人気が高かった野球に取って代わり、アメリカの“国技”、“国民的娯楽”であると言う意見が主流を占める迄に至った。
アメリカの大手世論調査会社ギャラップが2017年12月に調査した結果によると、「最も観戦するのが好きなスポーツ」では1位はアメリカンフットボール(37%)である。
2位にバスケットボール(11%)、3位に野球(9%)、4位にサッカー(7%)が続いた。
又、アメリカのワシントン・ポストが2017年に発表した人気スポーツの世論調査によると、 「最も観戦するのが好きなスポーツ」では1位はアメリカンフットボール(37%)である。
2位にバスケットボール(11%)、3位に野球(10%)、4位にサッカー(8%)が続いた。
アメリカ大手世論調査会社ハリス・インタラクティブの2015年12月時点での調査によると、最も好きなスポーツのトップはプロアメリカンフットボール(33%)であり、2位に野球(15%)、3位に大学アメリカンフットボール(10%)が続いた。
プロと大学を合計した場合、アメリカンフットボールは43%であり、15%の野球に対して圧倒的な差をつける結果となった。
この調査は1985年から開始されており、1985年時点ではプロアメリカンフットボール(24%)と野球(23%)は僅差であったが、それ以降その差は広がる傾向にある。
プロリーグであるNFL(ナショナルフットボールリーグ)は、北米4大プロスポーツリーグの中で最も人気のあるリーグであり、1試合の平均観客動員数が6万7000人を超えている。
経済的に世界最大のプロスポーツリーグでもあり、2014年シーズンの収益は120億ドルを記録した。
NFL王座決定戦であるスーパーボウルは、アメリカ最大のスポーツイベントであり、全米テレビ番組史上視聴者数トップ10の殆どを占めている。
アメリカンフットボールの最高の大会であり、アメリカ最大のスポーツイベントである。
NFLの2つのカンファレンスであるアメリカン・フットボール・カンファレンス (AFC) とナショナル・フットボール・カンファレンス (NFC) の各優勝チームで争われる。
毎年2月上旬の日曜日に開催されており、スーパーボウル当日はスーパーボウルサンデー又はスーパーサンデーと呼ばれ、事実上アメリカの祝日となっており、年間で感謝祭に次いで2番目に食糧が多く消費される事でも知られる。
2017年度第52回大会は、AFCがニューイングランド・ペイトリオッツ、NFLがフィラデルフィア・イーグルスとの対戦で、フィラデルフィア・イーグルスが初優勝している。
200以上の国と地域でテレビ中継されており、特にアメリカでは毎年テレビ番組で年間最高視聴率を記録する等、極めて注目度の高いコンテンツになっている。
2013年の全米視聴率ランキングにおいても、上位10番組の中でNFLが9つを占めた。
又、同年のスポーツ番組の全米視聴者数トップ50の中でNFLの試合が46を占めた。
大学リーグであるカレッジフットボールも非常に人気が高い。
ディズニー傘下の「Entertainment and Sports Programming Network」ことESPNの調査によると、熱狂的なファンの数はメジャーリーグベースボール等を上回り、NFLに次ぐ2位のスポーツリーグである。
特に大学生を中心とした若年層やハーバード大学等多くの名門大学も参加する事から、高学歴層の関心が高い。
シーズンの観客動員数は約5000万人であり、ミシガン大学のスタジアムが200試合連続で10万人以上の観客動員数を記録する等、多くの強豪チームが1試合平均8万人以上の観客動員数を誇る。
1月に行われるカレッジフットボールの全米王座決定戦も視聴率が非常に高く、ワールドシリーズやNBAファイナルの視聴率を上回る場合が殆どであり、2013年はNFLを除いて全米で最も視聴者数の多いスポーツコンテンツであった。
一方、アメリカンフットボールの競技人口は2006年の1010万人をピークに900万人(2011年)へと減少に転じており、バスケットボール(2610万人)や野球(1230万人)よりも少ない。
但し、男子高校生や男子大学生のカテゴリでは2010年時点で最も競技人口が多い。
日本では、スーパーボウルを始めとしたNFLの主要ゲームや、国内でも学生・社会人のチャンピオンシップ戦である甲子園ボウル(全日本大学アメリカンフットボール選手権大会の決勝戦の事である。去年は日大が優勝)やジャパンXボウル、日本一のチームを決定するライスボウル(一昨年&昨年度は富士通フロンティアーズが優勝)といったボウルゲームでは地上波やBSで中継がある。
スガシカオ(菅 止戈男{すが しかお})やドン小西が卒業生。※
国内試合は伝統的に関西地区での人気が高く、80年代の京都大学ギャングスターズの全国制覇以後は、秋期の関西地区の主要ゲームには万単位の観客が集まっている。
現在の形式のアメリカンフットボールは、1874年に行われたハーバード大学とマギル大学の試合に由来する。
当初は原始フットボールのルールで行われていたが、ボールの所有権の曖昧さ等から、アメリカ独自のフットボール開発の気運が高まった。
1876年、ラグビー選手として活躍していた、後に「アメリカンフットボールの父」と呼ばれるエール大のウォルター・キャンプの呼びかけによりマサソイト会議(コネチカット州)が開かれ、基礎的なルールが決められた。
この時に制定されたルールの内、現存するのは、
- フィールドでプレーするのは1チーム11人ずつ。
- 第4ダウンの攻撃で10ヤード進めなければ攻撃権を失う。
- センターからクォーターバックにボールをスナップして攻撃が始まる。
等である。
その後もウォルター・キャンプを中心に、ラグビーでの「スクラム(試合を再開する為にボールを投入する形で選手が組み合う事)」から「スクリメージ」への革命的な変更(1880年)、ボール所有権の明確化、「ダウン」制の導入(1882年)等のルールの改革が行われ、初期のアメリカンフットボールが形作られた。
そして1885年9月3日には最初のプロフェッショナル・フットボールゲームがプレーされた。
然し、1888年に膝下へのタックルが合法化された事でフットボールは血みどろ(血まみれと同義。どちらかと言えば勝負の世界で血を流す様な壮絶な試合での状況を表現する時に使う)の闘争競技と化し、遂には初のゲーム中の死亡者を出す事になる。
20世紀に入ると、このスポーツでの負傷や事故の多さ(死亡事故も含む)が社会的問題となった。
時には「殺人ゲーム」と呼ばれる程粗野で野蛮なゲームであった為、次第に世間からの非難の声が高まって行った。
1905年10月、この事態に時のセオドア・ルーズベルト大統領はホワイトハウスにエール大、ハーバード大、プリンストン大の各責任者を招集してフットボールの健全化を要求、この競技をもっと安全でクリーンなものにするか、さもなければ禁止する様意見した。
更に悪い事に、その年の暮れにシカゴ・トリビューン紙によってフットボールの試合で18人が死亡し、154人以上が重傷を負っている事が報道され、競技への非難は頂点に達した。
議会では廃止論が叫ばれ、コンタクトが少なく安全なサッカーに転向すべきだと言う意見が噴出した。
1906年1月21日、関係者達は早速ルールを改正すべく集まりを持った。
ウォルター・キャンプを中心としたこのルール委員会は、フォワード・パスを認め、ニュートラル・ゾーンを設け、これ迄3rdダウンで5ヤードを10ヤードに変更、試合時間も70分から60分に減らした。
その後、1912年迄の間に更にルールは変わって行った。
フィールド・ゴールによる得点は4点から3点に、タッチダウンは5点から6点に変更、フライング・タックルや不正な手や腕及び体の使用の禁止、スクリメイジライン上に7人の選手が位置する事の義務付け等が行われ、これ等の改革によって集団で襲いかかる様な野蛮な行為は影を潜め、現在のルールの基本が出来上がった。
安全面に配慮したルール改定に加え、負傷軽減の為の防具の整備も行われた。
1913年、アメリカ陸軍士官学校対ノートルダム大学戦において、ノートルダム大学のガズ・ドライズとヌート・ロックニーがパスプレーを繰り出し、ランプレーと効果的に織り交ぜ、それ迄殆どランプレーだけだったアメリカンフットボールの戦術において革命を起こした。
40ヤードのタッチダウンパスを皮切りに、ノートルダム大学が得た5TDは全てパスプレーによるもので、35-13で圧勝した。
パスプレー(1回のみ前方にパスが出来るルール)自体は1906年から認可されていたが、それ迄は限定的にしか使用されていなかった。
サッカーや野球は分かる(バスケやバレーもまあまあ分かる)が、アメフトはサッパリ分からない・・・
例えば試合時間!
原則として試合は60分間!
これが15分ずつ!
第1~第4クォーターに分かれています!
第1クォーターと第2クォーターが前半!
第1クォーターと第2クォーターが前半!
第3クォーターと第4クォーターが後半で、試合によっては前半と後半の間にハーフタイムショーなんかがあったりします!
サッカー等と同様、前半と後半で陣地を交代します!
サッカー等と同様、前半と後半で陣地を交代します!
「原則として」と条件をつけたのは2つの意味があります。
第1に、学生や社会人等のアマチュアのゲームでは、一つのクォーターを15分より短くして行う事があるからです!
第2に、60分間と言うのは「時計が動いている時間」だけです!
第1に、学生や社会人等のアマチュアのゲームでは、一つのクォーターを15分より短くして行う事があるからです!
第2に、60分間と言うのは「時計が動いている時間」だけです!
サッカーでは前半後半それぞれの後にロスタイムがありますが、アメフトではロスタイムは無く、代わりに試合中に時計を止めるのです!
時計が止まるのは「どち等かのチームがタイムをとった場合」!
「負傷者が出た場合等審判がタイムをとった場合」!
「ボールを持った選手がフィールドの外に出たりパスを失敗したりした場合」等があります!
等と、先ずは時間からでも理解して行きたい!
特に日大の事件があったから興味をそそられたって事もあるけど、マイナスイメージから何か得るものがあればと思い綴りました。