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Channel: 辛抱しんちゃんのブログ13~俺は本物を掴む迄兎に角やるんだ
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律令制度の「本貫地に居住している人」☆「其の地に生まれ住む人。土地の人」☆「原住民、現地人」natives☆現代では「原始的生活をする、土着の人種 」

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 土人発言問題に当たって、誰か「土人」について詳しく調べた上で報道したマスコミは皆無だと思った。
 要はマスコミは沖縄の基地反対運動家の味方なのだ。
 だから「土人」発言以前に、プロ市民が如何に違法な行為や機動隊等に対し侮蔑発言をしても完全スルーして来た。
 これは公正中立を謳うマスコミの問題だろう。
 マスコミは馬鹿だから「あ!機動隊員が土人と言った!差別だ!沖縄を野蛮に見てる!これは許さない!
 しか報道しない。
http://livedoor.blogimg.jp/jin115/imgs/4/9/496695b8.jpg「翔んで埼玉」作者・魔夜峰央
 機動隊員が誰に、どんな場面で発言したのか等報道したのか?
 単に「土人!土人!」と連呼して「差別!野蛮!」のレッテルを貼りたいだけだろう。
 基地問題に関しては、辛抱しんちゃんも何かと意見があるが、沖縄から遠く離れた石川県で主張しても余り説得力は薄いかも知れないし、今回はそれ迄書いちゃうと字数オーバーするから止めとく。

 然し「土人」に関して。
 キチンと調べて報道して欲しいものだ。
 何で「土人」じゃ駄目なのか?
 そもそも「土人」とは何なのか?
 土人=未開人=沖縄人としたいのは何故か?
 その辺を今一度鑑みる事で、「土人」の言葉一つから問題の本質も浮き出てくると思い、以下を書き記す・・・






 ・・・本貫(ほんがん)は古代東アジアにおいて戸籍と呼ばれる家族集団単位で国民を登録する目的で作成される公文書)の編成(貫籍)が行われた土地を言う。
 因みに戸(こ)とは、律令制において戸主とその下に編成された戸口と呼ばれる人々から構成された基本単位集団の事。 
 戸籍計帳の記載単位、或いはの構成単位となり、地方行政単位の最末端に位置づけられた。
 尚、保(ほ)は5つの「戸」で構成されている。
 日本では奈良時代律令制における地方行政の最下位の単位として、の下に(さと)が設置された。
 里は50戸を一つの単位とし、里毎に里長を置いた。
 715年に里を郷(ごう)に改称し、郷の下に新しく設定した2~3の里を置く郷里制に改めた。
 然し里が直ぐに廃止されて郷のみとなった為、郷が地方行政最下位の単位として残る事になった。
 つまり、郷は戸という家族集団の集まりであるから、「人」の支配の為に設けられた制度である。
 転じて、氏族集団の発祥の地を指す様になった。
 日本には律令制下の戸籍制度と共に概念が導入された。
 中世以降、武家名字(苗字)の由来となった土地(名字の地, 一所懸命の土地)を「本貫」、「本貫地」(ほんがんち)と呼ぶようになった。
 中国朝鮮半島では、個人の戸籍の所在地の意味を離れ、氏族集団(宗族)の始祖の発祥地として使用された。
 特に大韓民国では現在も家族制度上大きな意味を持つ。

 ・・・古代以来の中国華北(北京とかがある中国の北の方ね)社会では(こ)と呼ばれる形態の緊密な小家族が成立し、これが社会構造の最小単位として機能していた。
 その為政権が社会を把握する為には個々の戸の把握が効果的であり、支配下の民の把握を個人単位、或いは族的広域共同体単位では無く、戸単位で行った。
 この戸単位の住民把握の為に作成された文書が戸籍である。
 中華王朝や漢民族世界が華北から拡大しても、政権の民衆把握は戸籍を基礎として行われ、日本、朝鮮半島国家等周辺地域の国家でも戸籍の制度は踏襲された。
 日本では律令制を制定して戸籍制度を導入した当時、在地社会の構造は華北の様に戸に相当する緊密な小家族集団を基礎としたものでは無かった。
 平安時代になって律令制衰退後、朝廷に寄る中央政府が戸籍によって全人民を把握しようとする体制は放棄され、日本の在地社会の実情とは合致しなかった戸籍制度は、事実上消滅した。
 地域社会の統治は現地赴任国司筆頭者(受領)に大幅に権限委譲、更に受領に指揮される国衙「こくが」と読もう!日本の律令制において国司が地方政治を遂行した役所が置かれていた区画である。国衙に勤務する官人・役人(国司)や、国衙の領地(国衙領)を「国衙」と呼んだ例もある。令制国の中心地に国衙など重要な施設を集めた都市域を国府、又その中心となる政務機関の役所群を「国衙」、更にその中枢で国司が儀式や政治を行う施設を国庁(政庁)と呼んだ。)では資本力のある有力百姓のみを公田経営の請負契約等を通じて把握し、彼らを田堵(たと)・負名(ふみょう)とし、民衆支配は専(もっぱ)ら彼ら有力百姓によって行われる様になった。
 その後、上は貴族から下は庶民に至る迄、(いえ)と言う拡大家族的な共同体が広範に形成されて行き、支配者が被支配者を把握しようとする時、この自然成立的な「家」こそが把握の基礎単位となった。
 全国的な安定統治が達成された徳川時代幕藩体制下でも、住民把握の基礎となった人別帳宗門人別改帳<しゅうもんにんべつあらためちょう>は、江戸時代の中期に宗門人別改宗門改(しゅうもんあらため)は、江戸時代日本江戸幕府によって行われた宗教政策及び民衆統制政策。民衆の信仰する宗教を調査する制度である。禁教令の発布に伴いキリシタンの摘発を目的に整備された制度であったが、江戸中期以降は住民調査的な制度に変移して行った。宗門人別改と言う名称もあるが、これは別の調査制度である人別改が、江戸中期以降に宗門改と事実上統合した事から来る名称である。宗門人別改帳も、本来は宗門改帳と人別改帳と言う全く別種のものであった>宗門改帳人別改帳が統合された民衆調査の為の台帳。現在で言う戸籍原簿や租税台帳である。宗旨人別改帳とも呼ばれる)は、血縁家族以外に遠縁の者や使用人等も包括した「家」単位に編纂された。
 明治時代になると、中央集権的国民国家体制を目指す為、「家」間の主従関係、支配被支配関係の解体は急務であった。
 戸籍を復活させて「家」単位では無く「戸」単位の国民把握体制を確立し、「家」共同体は封建的体制下の公的存在から国家体制とは関係の無い的共同体とされ、「家」を通さずに国家が個別個人支配を行う事が可能となった。
 この様に戸籍制度の復活は封建的な主従関係、支配被支配関係から国民を解放するものであったが、完全に個人単位の国民登録制度では無い為、婚外子、非嫡出子問題、選択的夫婦別姓問題等の「戸」に拘束された社会問題も又存在する。
 これに対し、国民主権時代の現代では、より個人が解放された制度を目指して、戸籍制度を見直す議論も存在する。
 尚、これ等の内、婚外子・非嫡出子問題については、2013年9月4日、相続において婚外子を差別する民法の規定が違憲であるとの判断を最高裁判所が下した。

 平安時代末期以降、等の同姓同士が繁栄した為、鎌倉時代以降互いを区別する場合に姓では無く、次第に各々が「一所懸命」して守る所領地の地名()を仮名(名字・苗字)とする様になり、名字を冠する事は、所領の相続権を意味する様になった。

 一所懸命の土地(いっしょけんめいのとち)は、中世日本において各々の在地領主本貫とした土地であり、命をかけて最後迄守り抜く覚悟を持った土地を言う。
 その土地の地名を名字として名乗る事が多い。
 又、一生懸命の語源でもある。
 古代末期頃、在地の富豪層の中から自分で土地を開墾し、その土地に何等かの権利を有する開発領主と呼ばれる階層が出現した。
 開発領主の内、国司等として下向して来た軍事貴族と関係を結び、武装して初期の武士となる者も現れた。
 こうした武士は特に関東に多く、先祖から受け継いだ土地を自身の命より大切に考え、子孫に伝えようとする傾向が強く見られた。
 やがて中世後期になると、武士達は戦国大名等領主層の家臣団として組み込まれて行き、領地替え・国替えが行われる事も、珍しくなくなった。
 然し、先祖代々継承して来た土地に強い執着があった武士の一部は、主君の領地替えに隋従せずに武士身分を捨て浪人となり、その土地に農民として土着して残る者も出た。
 特に有力な土着の浪人達に対しては、近世領主達は、苗字や帯刀を許可する等武士に近い一定の特権を認めて、庄屋・名主等の村方三役に任じる事が多かった。
 こうして、一所懸命の土地に対する権利を継承して行ったのである。

 これに伴い名字の発祥地である「一所懸命」の地は「本貫」、「本貫の地」と呼ばれ、本貫地に祀られている神が「産土神(うぶすながみ)」と呼ばれた為、本貫と書いて(うぶすな)と訓み、次第に「氏神(うじがみ)」と同意語となり、混合されて神聖視される様になった。

 で、あるからして話を戻すが
 「戸籍の編成」=「貫籍」
 貫籍が行われた土地=本貫
 となる。

 なので本貫とは本籍・本籍地の事を指す。
 律令制下では戸籍に記された土地。
 律令国家は公民を支配するにあたって、その本来の居住地を本貫と定め、その地(何れかの国・郡・里に属する)の戸籍に登録し、その地で口分田(くぶんでん)を与えて定住させた。
 そして、その上で租庸調(そようちょう)を徴収し、徭役(ようえき)労働を賦課した。
 律令国家は、公民を本貫に縛り付けておことによって成り立っていたので、公民が本貫を離れて勝手に移動する事を厳禁した。
 又、近隣の五戸を以て構成する五保(ごほ)の制を設けて、相互に監視させ、旅に出る場合には同保に告知させる等、種々の逃亡防止の対策をも講じた。
 然し8世紀初めの平城京造営の頃には、早くも浮浪・逃亡が大量に発生しており、この本貫を離れた「浮浪人」が、軈(やが)て律令国家の公民支配体制を破綻させる大きな要因となった。

 で、この本貫地に居住してる人を「土人」とも言うのだ。
 細かく言えば「律令制度時代の京以外の本貫地に住んでる人」は皆「土人」である。
 早い話が地域の土地の人を土人と読んでたの。

 この「土人」が今メディアが賑わせている。
 ・・・「もし日本人が土人と言われたら…」 新潟県知事、ツイッターで鶴保沖縄相発言に指摘
 大阪府警の機動隊員による「土人」発言を巡って鶴保庸介沖縄担当相が「差別であるとは個人的に断定出来無い」との見解を示した事について、 新潟県の米山隆一知事は9日、自身のツイッターで「差別です」と指摘した。
 この中で米山知事は「新潟県の誰一人として、誰からも土人と言われてはならないと思います。大臣は日本人が“Barbarian!”と言われた時、何と応じるのでしょうか」と疑問を投げ掛けた。  
 10月16日の同知事選に初当選した米山知事は、就任前の19日のツイッターでも「どの様な立場でもどの様な状況でも、人は人に対して可能な限り敬意を以て接すべきです」と投稿。   
 機動隊員を松井一郎大阪府知事が自身のツイッターで「出張ご苦労様」と労(ねぎらった)った事に対しては、「私なら職員が他県で他県の方に敬意の無い対応をした時に、謝罪し、以後改める様強く指導する事はあっても、『出張ご苦労様』と言う事はありません」との考えを示していた。(沖縄タイムスプラス:2016年11月11日

 ここで出て来る「バーバリアン」なんだが、Yahoo!Japan知恵袋「バーバリアンって野蛮人って意味ですよね?」の質問に対しての2014年3月16日の回答が以下である。

 ・・・このバーバリアンって、「ゲルマン人」の意味で使われてませんか?
 「バーバリアン・インヴェーダー」と言うと、民族大移動で中央ヨーロッパにやって来たゲルマン人の事を指します。
 ドイツ語を始めとするゲルマン語系の言葉で言うと、「民族大移動」と綺麗なんですが、ロマンス語系の言葉では、「バーバリアンの侵入」という言い方をよくします。
 ノルウェー人の台詞「スカンジナビアと言えば、海賊、バーバリアンだろ?」と言うのは、明らかに「ヴァイキング」の事を指していますよね。
 北ゲルマンのヴァイキングの絵を見ると大体長髪・ひげ面で、角のついた兜を被っていて、三つ編の姿もよく見かけます。
 スカンジナビアと言えばヴァイキング、と言う程、北欧の人にとってはヴァイキングはアイデンティティーのルーツだそうです。
 日本語で「野蛮人」と言うとネガティブですが、バーバリアンと言う言葉でゲルマン的な「ワイルドさ」を表現したかったのでは?
 ドイツでは、男の子に人気のモティーフと言うと、大体、海賊か、ヴァイキングか、騎士か、サッカーか、恐竜か、車の類と言う事になっています。
 サッカーや車は分かるとして、海賊やヴァイキングは、始めは私も???と思った記憶がありますが、あの男臭さ(?)、ワイルドさがいいんだそうですよ。
 日本に「ちいさなバイキングビッケ」と言うアニメがありましたが、あれはドイツでも人気なんですが、ドイツ版のは始まりの歌がハードなヘビメタ調なんです。
 私は日本の可愛い歌の方がいいと思うけど、ドイツ人にあの日本の歌を聞かせると、絶対NGだと言います。
 ヴァイキングが可愛いとか、あり得ない、と言う感じで。
 要するに、ノルウェー人達が「バーバリアン」と言ったのは、「野蛮」と言う意味合いより、ワイルドなゲルマンだ、と言う事を言いたかったのではないでしょうか?
 因みに、ドイツでは「野蛮人」「野蛮」に当たるドイツ語の“Barbar“ „barbarisch“ と言う言葉には、いい意味はありません。
 この言葉で自分達のアイデンティティーを語るドイツ人は、先ずいないと思います。
 ナチスの行為等が、よく、barbarischだと形容されています。
 補足:ニュアンスの違いと言うのは確かにあるんでしょうね。
 バーバリアンの元々の意味は、古代ギリシア・ローマから見て異民族、と言う事で(ゲルマン人もこれですね)、本来は野蛮と言う意味は無かったそうです。
 
 そもそも野蛮とは、文明文化に対立する概念であり、文化の開けていない状態或いは乱暴で礼節を知らない事を言う。
 未開や粗野と同義。
 屡々(しばしば)自身を「文明」と称する人々によって相手に付けられるレッテルとして用いられる。
 野蛮だとされる民族は「蛮族」と呼ばれる。
 古代ギリシアでは異国の民をバルバロイと呼んだ。
 何で「バルバロイ」かって言うと、当時のトルコ人やイラン人の話す言葉が、ギリシャ人は「バルバルバル」と聞こえたらしく、尚且つ、ギリシャ人は自分達を「ヘレネス」と自称して、どれ以外の人間はバルバロイと呼んだからでもある。
 軽蔑なイメージがついたのは、当時のトルコ人が他国の奴隷ばっかだった為な事も。
 歴史以前では必ずしも軽蔑のニュアンスは無かった様だが、ペルシア戦争で異国の侵入と破壊を経験したあたりから、ペルシアへの敵愾心、非ギリシア人への排外の感情と共に、英語のバーバリアンBarbarian)と言う語に込められる様な蔑視のニュアンスを含む用法になった様である。
 ギリシア人達は自由なギリシア人に比べ、絶対的な王による専制下のバルバロイには奴隷の品性しかないと考えた。
 アリストテレスに寄れば「ギリシア人は捕らわれても自分自身を奴隷と呼ぶ事を好まず、又バルバロイだけをそう呼ぼうとする」。
 古典古代のギリシア人にとって、自分以外に主人を持つものを奴隷とみなし、家の中での家長=主人と奴隷の関係を律する論理と、主人=家長である自由人同士との関係を律する論理は異なるものであった。
 従って、家の論理を拡張したものとしての王=家長=主人に使えるオリエントの臣民達は奴隷に準じるものとして理解されたのであった。
 古代ローマ人にとっても、領外のガリア人ゲルマン民族は蛮族に過ぎなかった。
 ゲルマン民族がローマ領内に移動し、キリスト教による平等主義で教化されたヨーロッパ世界でもこの構図は、形を変えて繰りかえされる。

 ・・・以上を整理する。
 1.昔の京都意外に住んでる人を土地の人=土人とも言った。
 2.「土人」はあくまで地方に住んでる人の意味以外は無い。
 3.新潟県知事が主張した「バーバリアン」も、そもそもはギリシャ以外の人を指す言葉だった。
 要は土人=地方人なのだ。
 今で言えば東京以外に住んでる人は皆土人である。
 じゃあそれがどうして「土人=野蛮・未開」と差別対象の意味が含まれる様になったのか?

 ・・・明治末以降には、北海道樺太等の開拓に伴いアイヌ民族を公式に「旧土人」と称した。
 1899年(明治32年)(北海道旧土人保護法)(「旧土人」は土人の派生語として「旧の土人」と解釈する場合の他、「旧土の人」と解釈する意見もある)。
 現在の辞書の第一語義は土着の人。
 1891年(明治24年)冨山房の「言海」、1907年(明治40年)三省堂の「辞林」、1914年(大正3年)三省堂の「辞海」、1917年(大正6年)冨山房の「大日本国語辞典」では土着(土著)の人や土偶(土人形)の意味であったが、1920年(大正9年)啓成社のベストセラー「大字典」の第二語義は「野蠻の民」、1925年(大正14年)田中宋栄堂の「新式大辞典」では「土着のもので未だ開化せない人」が加わる。
 言海の著者大槻文彦没後に出版された1934年(昭和9年)冨山房の「大言海で」は「原始的生活ヲ榮メル土着ノ人種。」が加わるが、他の辞典は概ね従来の意味での掲載であった。
 1973年(昭和48年)三省堂の「広辞林第5版」では「~蛮人」が第一語義となる。
 1975年(昭和50年)小学館の日本国語大辞典」では「特に、黒色人種を言う」が加わる。
 1983年(昭和58年)岩波書店の「広辞苑第3版」は第2版1969年(昭和48年)の原始的~から「未開~軽侮の意~」へ更新、1990年(平成2年)講談社の「日本語大辞典」では「natives」「uncivilized」が添えられ、2001年(平成2年)集英社の「広辞典」では「未開の民の俗称」と解説された。
 
 アイヌ人差別から「土人」=野蛮の意味が包括されたのだ。
 明治政府からしたら、アイヌ人は日本国領土における異民族であり、日本人化してない田舎の人間である。
 文明開化で驀進する中央政府から見たら、ちっとも進歩せず昔っからの風習を第一に生きてるアイヌ人はそれこそ未開人だったろう。
 今から欧米列強に追いつけ追い越せな明治政府からすれば、進化しない奴等なんざ未開な野蛮人のまんまって思うだろう。
 それと同時に、世界の事が日本でも分かる様になれば、世界は欧米の様に進歩した国ばっかじゃなく、それこそ人跡未踏の地やら、欧米人は愚か、明治日本の視点から見ても「いやこれって文明無いのじゃねえか?」って言うアジアアフリカ南アメリカ等欧米以外の国の情報も入って来る。
 そうなればアイヌは当然、それ以外の土地の人でも、文明に開花して無い土地の者=土人って=未開人で野蛮人でもあるなあって思う様になったんだろう。

 即ち文明に開化してない土地の人は野蛮だ=土人は劣った存在だってなって行ったんだろう。

 あくまでも余所の人の意味しかなかった「土人」だが、そこにいつかバーバリアンの意味も持たれる様になって行ったと。
 自分達とは異なる文化の人は劣った存在だ=未開人は愚かで野蛮だ、となった。
Copyright © 2016 琉球世から米国世、大和世から沖縄世、そして未来は All Rights Reserved.2013年8月28日
 「土人」の意味は、そもそもは単に地方の人に過ぎない。
 然し現在では、その意味を曲解した意味で通っている。
 自分達の尺度とは違うから土人は野蛮だって解釈は間違っている。
 然し今更そんな事辛抱しんちゃんが主張した所で質される事は無いだろう。
 既に「土人は野蛮だ」のニュアンスが通ってるからだ。
 それに「でも辛抱しんちゃんさあ、俺等から見たらあいつ等未開じゃん。現に社会レベル違うでしょ?」と述べられると回答に詰まる。
 世界には「未接触部族」と言って、現代文明と未だ接触していない人間の部族がいる。
 ペルーに住むマシコ・ピコ族とか、インド洋の北センチネル島に住むセンチネル族とかが該当する。
 それを例示されたら流石に辛い。
 
 然し少なくとも土人の意味は元は無難な地方人に過ぎない。
 それ以上に差別的意味を持たせる事は基本宜しくないと思う。
 故に差別的意味で「土人」と用いる事は、イカンと思う。
 但しどんなシチュエーションで用いたかの方が、使用した事より大事ではないか?
「ラストニュース」原作:猪瀬直樹&作画:弘兼憲史
 悪人が無実の村人を惨殺した事と、暴れん坊将軍が悪代官を成敗したのでは、同じ殺す事でも意味がまるで違うでしょ?

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