日本では、鮭と言うとシロザケの事のみを指していました。

これ以外の鮭の種類に近い魚には鮭と言う言葉では無く、マスと言う言葉を付けられた名前になっていました。
カラフトマスは北海道近辺でしか取れない鮭で、昔は存在自体が日本では知られていませんでした。
それが、日本人の活動範囲が広がる事によって発見されたのです。
見た目は鮭に近いけれどもシロザケでは無い事から、マスと言う言葉が付けられカラフトマスと呼ばれる様になったのです。
一方、日本近海では余り見る事の無い鮭の種類は、サーモンと英語で呼ばれている事実から、ベニザケやギンザケ等、鮭の言葉がつく魚になったのです。
日本においては
日本近海で獲れるシロザケ以外の鮭には、マスの名前が付けられ
日本近海では獲れない鮭にはサケの名前が付けられた
と言うのが実情です。
英語で鮭はサーモンと言いますが、元々このサーモンもタイセイヨウサケと呼ばれる一種類のみに付けられていた名前でした。
この後、日本と同様に活動範囲が広がる事により、様々な鮭の種類が発見される様になって行きます。
この過程で、川で生まれて海で育ち川に戻る種類のものをサーモン、川から出る事無く一生を終えるものをトラウト(マスの英語訳)と呼んだのです。
従って、普通の鮭同様に海で育つカラフトマスにはピンクサーモンと言う名前が付けられています。
「サケ」と「マス」、そして「サーモン」と「トラウト」。
この名付けられ方がそもそも違うのですから、日本語ではマスだけれども英語ではサーモンと呼ばれるものが出来ているのです・・・
♪明るく澄んだ川で
元気良く身を翻しながら
気紛れな鱒が
矢の様に泳いでいた。
私は岸辺に立って
澄みきった川の中で
鱒達が活発に泳ぐのを
良い気分で見ていた。
釣竿を手にした一人の釣り人が
岸辺に立って
魚の動き回る様子を
冷たく見ていた。
私は思った
川の水が澄みきっている限り、
釣り人の釣り針に
鱒がかかる事は無いだろう。
所がその釣り人はとうとう
痺れを切らして卑怯にも
川を掻き回して濁らせた
私が考える暇も無く、
竿が引き込まれ
その先には鱒が暴れていた
そして私は腹を立てながら
罠に落ちた鱒を見つめていた♪
元気良く身を翻しながら
気紛れな鱒が
矢の様に泳いでいた。
私は岸辺に立って
澄みきった川の中で
鱒達が活発に泳ぐのを
良い気分で見ていた。
釣竿を手にした一人の釣り人が
岸辺に立って
魚の動き回る様子を
冷たく見ていた。
私は思った
川の水が澄みきっている限り、
釣り人の釣り針に
鱒がかかる事は無いだろう。
所がその釣り人はとうとう
痺れを切らして卑怯にも
川を掻き回して濁らせた
私が考える暇も無く、
竿が引き込まれ
その先には鱒が暴れていた
そして私は腹を立てながら
罠に落ちた鱒を見つめていた♪
シューベルト「鱒」
シューベルトのピアノ伴奏独唱曲としては、極めて人気の高い楽曲の1つ。
特に18世紀後半から19世紀初頭にかけて確立し、ロマン派時代に興隆を迎えた様式を指す。
ドイツではリート(複数形はリーダー)と呼ぶ。
明治時代に西欧音楽が輸入された際、このリートの訳語として「歌謡曲」が使用された。※
3節からなるシュトローフェンリート(有節歌曲形式<ゆうせつかきょくけいしき>とは、歌曲に多く用いられる楽曲の形式である。歌詞が進む毎に異なる旋律を付けるので無く、一つの旋律を何度も繰り返す様に曲が付けられているものを言う。繰り返しの1回を節と呼ぶが、普通そのそれぞれを1番、2番、3番と数える事が行われる。節は、二部形式や三部形式で書かれる事が多い)であるが、第3節がシューベルトお馴染みの技法によって大幅な変化を付けられている。
シューバルトの歌詞に曲付けされており、歌詞は
狡賢い漁師が罠を使って魚を釣り上げる様を歌ったもの。
然し実際には
「男はこの様にして女を誑(たぶら)かすものだから、若いお嬢さんは気をつけなさい」
と言う意味の寓意となっている。
シューバルトとは、シュワーベン生まれのロマン派抒情詩人。
家庭教師、オルガニストで身を立て、後に自ら雑誌『ドイッチェ・クローニク』を創刊した。
その雑誌の進歩的な考えは、シラー等にも影響を及ぼした。
その詩は何れも自由への憧れを歌っている。
アレグレット、4分の2拍子。
変ニ長調。
冒頭はピアノの6連符による滑らかな味付け。
尚、この歌曲の有名な前奏はシューベルトによる「鱒」の5度にも跨る書き直しの中で、第5稿に初めて登場したものである。
現在一般に歌われている「鱒」は第4稿に依拠しており、前奏は第5稿によっている。
シューベルトのピアノ五重奏曲「ます」D667は、第4楽章がこの歌曲を主題とした変奏曲である事で有名であるが、作品全体の主要な主題も素材的に『鱒』の旋律と関連付けられている。
で!
この曲の題名の「鱒」!
鱒について今回はブログを綴りたい!
尚、漢字で「鱒」とは、旁(つくり)の「尊」が「細長い酒壺の形をした」とか「恰好が良い」を表している。
サケとマスの境界が厳密で無い為、国により区分方法が異なる。
英語では、サケがsalmon、マスがtroutに対応している。
単にtroutと言うと淡水産を意味し、海産のものはsalmon troutと呼ばれるが、シートラウト(ブラウントラウトの海降型、Salmo trutta morpha trutta)と言う例外もある。
殆どの種が美味であるか、毒性が無く独特の旨みがある為、世界的に食用にされる。
スウェーデンでは、シロマスの卵のロイロムが希少である為高価とされている。
鮭缶の原料もこの魚である(鱒じゃないか…)。
カラフトマスのイクラは日本では外食産業向けとされているが、ロシアではシロザケのものより高級とされている・・・っても
よー分からない!
鮭なのか鱒なのかどっちやねん!ってヤツなのだが…どち等もサケ目サケ科に属した魚だからなあ…鱒と鮭の境界が厳密で無い為、国により区分方法が異なるし…英語で、サケがsalmon、マスがtroutに対応しており、単にtroutというと淡水産を意味し、海産のものはsalmon troutと呼ばれている。
鮭は海洋で育ち、鱒は淡水の川や湖で育ちます(鱒の一部は海洋に生息)。
鮭は海洋で育ち、鱒は淡水の川や湖で育ちます(鱒の一部は海洋に生息)。
生物学的な意味や違いは全く無く、サケ科の魚を種により呼び方を変えているだけって事。
海に降りるのを「サケ」と言う…と言う意見もある様ですが、ヤマメ(マス)等が海へ降り溯上した魚を「サクラマス」とか「サツキマス」と言う様に、海へ降りる(海に生息する)=サケ…と言う分け方は間違い!
因みに英語では
海に行く魚がサケ(Salmon)
行かないのがマス(Trout)
と言う分け方。
近年は日本でもサーモン=さけ、トラウト=ますと認識している例も一部でみられる様です。
日本で何故サケとマスと言う呼び分けが出来たか・・・日本で昔から遡上が見られたさけ・ますはサケとサクラマスであり、当時はサケとマスで区別には十分でした。
然し蝦夷地の開拓が進むと道東方面に別種のさけ・ますが分布しており、サクラマスとカラフトマスと言う呼び分けが必要になりました。
更に北洋さけ・ます漁業が始まると日本には分布しないものも漁獲され、漁業者はそれ等をベニマス、ギンマス等と呼び分けました。
話はややこしいのですが、日本の食品衛生法では、さく河性(海に下り、河に戻るもの)のものを「サケ類」、陸封性(海に下らない)のものを「マス類」と表示する義務があります。
例えば陸封性のヒメマスとさく河性のベニザケは同じものです。
然し、市場に出荷する際にはヒメマスとベニザケと区別されます。
要は、「生物学的」に、サケとマスに「違いは無い」と言う事です!
この時点ではサケだけが特別で、その他は全て○○マスで統一されていました。
然しながら、流通させるに当たってマスよりサケの方が高級イメージがあったので、ベニザケ、ギンザケと言う呼び名で販売される様になり、それが定着して今日に至っていると言う事です。
追伸:シューベルトの「鱒」には、省略した部分がある。
♪何時迄も続く
青春の黄金の泉の元にいるあなた方
鱒の事を考えなさい
危険に出会ったら落ち着いてはいられない。
あなた方には大抵用心深さが欠けている
娘達よ、見なさい。
釣り針を持って誘惑する男達を!
さもないと後悔するぞ!♪
青春の黄金の泉の元にいるあなた方
鱒の事を考えなさい
危険に出会ったら落ち着いてはいられない。
あなた方には大抵用心深さが欠けている
娘達よ、見なさい。
釣り針を持って誘惑する男達を!
さもないと後悔するぞ!♪
ここの部分があったらシューバルトの詩「鱒」に込めた真意が分かろうものだ…何でシューベルトは削ったのかな?
しっかし、シューバルトにシューベルト…ややこしい!
フルネーム表記なら詩人クリスチャン・シューバルトの詩に、作曲家フランツ・シューベルトが曲にしたって分かる。
もちっと分かり易くして欲しい。
でないとどっちがどっちだかと混乱してしまう。
シューバルトとシューベルトですらそうなのだ。
鱒と鮭だって生物学的に違いは無いんだから、これもそろそろ違いや読み方をハッキリさせてもいいんじゃないか?
これでは「角がついてりゃみんなガンダム」みたいだぞ。
第一、一番違いの理由「海にいるのが鮭、川にいるのが鱒」の設定自体が違っていたのだから。
何かこう・・・誰かズバン!と鮭と鱒の違いはこうです!と定義してくんないかな?